幕を下ろした砂取節まつりをもう一度
住民の高齢化と人口減少による担い手不足で、昨年、「砂取節まつり」という伝統行事が幕を下ろしました。砂取節という揚げ浜塩田の労働歌に合わせて住民が踊り、太鼓演奏や郷土芸能も披露される、50年以上続いた行事でした。
開催場所である珠洲市馬緤町も、能登半島地震で甚大な被害を受け、家を失い地元を離れる人が増え、人口は約140人から60人ほどに減少しました。
「バラバラになった地元の人たちが、再び集まるきっかけをつくりたい」という想いから、今年限りで祭りが復活。会場となった馬緤自然休養村センターは震災以降、自主避難所として使われ、現在も10人が生活しています。避難所の住人たちが中心となって準備を進め、当日は地元の人々や二次避難先から来た人、ボランティアで馬緤との縁ができた人など、たくさんの人たちが集まりました。
会場には「いつかまた帰ってこられるように」という願いを込めて、映画『幸せの黄色いハンカチ』にちなんだ黄色いハンカチが飾られていました。祭りは伝承クラブによる太鼓の演奏で始まり、ビンゴ大会、馬緤追分、珠洲市出身の歌手による演歌も披露され、子どもから大人まで大いに盛り上がり、会場は活気に満ちていました。
ベテランの唄い手である國永信一さんをはじめとした唄い手たちによる砂取節に合わせ、参加者たちは道路を挟んだ海へと踊りながら移動。地震による隆起で広がった砂浜でみんなで踊りました。
地元の人たち、二次避難していた人、ボランティアで訪れた人。まるで、震災以降に生まれたたくさんの縁を表現するかのように、輪は大きく広がりました。
避難所の命を繋いだサザエを使ったキリコ制作
祭りのシンボルとして、会場の中心に飾られた「サザエキリコ」と「サザエみこし」。これらは造形作家・村尾かずこさんのアイデアからはじまり、住民やボランティアの人たちと一緒に作り上げられました。
村尾さんは2017年の奥能登国際芸術祭で、珠洲の特産品であるサザエの貝殻を用いた「サザエハウス」を制作。地元の人だけでなく、日本全国、さらには海外から集まったサポーターたちと一緒に作品を制作しました。そのときに集まったサポーターは「サザエーズ」と呼ばれ、不定期で珠洲に集まってサザエバーベキューをするなど、芸術祭後も交流が続いていました。さらに村尾さんは「芸術祭期間中だけでなく、珠洲でのこの縁を大事にしたい」という想いから、サザエにまつわる活動を綴った「サザエハウス」を定期的に発行しています。
村尾さんは震災前から、サザエを通じて地元の人たちと深い絆を築いていました。
4月にボランティアで馬緤町を訪れた村尾さんは、避難所でサザエが震災前と変わらずたくさん食べられていることを知りました。食材が調達しにくい状況でも、住人の中に海人さんがいて、海からサザエを獲ってくることができました。サザエが避難所の食生活を支えていたのです。
大量のサザエの殻を見て「サザエキリコを作りたいな」とアイデアが湧きました。キリコとは珠洲の祭りの主役となる、御神燈。祭りやキリコは、珠洲の人々にとって生活の一部であり、心のよりどころでもあります。
「震災によって、珠洲の人々と、被災していない私たちとの間に隔たりができてしまったと感じていました。その溝を埋めたいと思っていたのだと、皆さんと一緒にサザエキリコを作りながら気がつきました。」
自分たちで食べたサザエがキリコになる。その循環に住民たちは盛り上がり、サザエを食べたら殻を洗って乾かすなど、サザエキリコの制作が自然と生活に組み込まれていきました。住民やボランティアの協力のもと、サザエの形に型取られたワイヤーにひとつひとつ取り付けたサザエは、9000個以上にのぼるようです。
「なりゆき的に自然と、地元の人と一緒にものづくりができたのは良かったですね。自分たちが食べたもの、というのも自分ごとに感じてもらえた大きな理由だと思います。完成したサザエキリコは、祭りが終わってもここに置いていきます。いつかこのサザエを燃やし、貝灰にして、『サザエ漆喰』をつくれないかと考えています。その漆喰でどこかの壁を塗れたら、面白いですよね。」
普段、避難所の大工仕事を任される坂秀幸さんは、キリコの土台の制作やハンカチの設置など、大道具の準備を担いました。当日も直前までキリコの持ち手の微調整をされていた坂さんは、祭りの準備についてこう語ります。
「自分はできること、やりたいことをやっているだけ。だから準備は全然大変ではないですよ。特別なことは何もしてないです。」
完成したサザエみこしとサザエキリコをみんなで担ぐと、会場にはさらに笑顔が広がりました。「サザエたくさん食べたね」と笑う馬緤の住民たち。周りの人たちと協力して逆境を乗り越えていく力強さに溢れていました。
馬緤の「緤」という文字には、「きずな」という意味合いもあるそうです。この祭りは地元民や新しく出会った人々との絆をさらに深める時間でもありました。
ものづくりや祭りを通して言葉を交わすことで、明日への活力が生まれてくる。同じ時間を共有し、他愛ない会話や笑顔のやり取りが、心を前に向かせてくれるのです。
記録日:2024年8月13日
記録者:テキスト・戸村華恵(ヤッサープロジェクトスタッフ)
写真・西海一紗(ヤッサープロジェクトスタッフ)
記録場所:石川県珠洲市馬緤町