【珠洲のいま 南方治さん】大切なモノとの別れと、次への一歩

震災によって、珠洲で暮らす人々に「家仕舞い」の時期が唐突にやってきました。

若い世代が外に出てしまい、自分の代で家を終えることを「家仕舞い」と呼びます。奥能登国際芸術祭では「大蔵ざらえプロジェクト」として、珠洲の家から出てくる民具を引き取り、アートとして展示する活動を続けてきました。

3月から公費解体の受付が始まり、家を解体して珠洲を出るのか、家を建て直すのか、今の家を修理して暮らすのか、珠洲の人たちは、これからの生活を大きく左右する決断と向き合っています。

突然やってきたモノや家との別れ。一緒に片付け、家にまつわる思い出を伺うことで、その人の「家仕舞い」に寄り添うことができないだろうか。そんな思いから、馬緤(まつなぎ)で暮らす南方治さんに話を伺いました。

南方さんは『奥能登国際芸術祭2023』にて、弓指寛治さんによる 『プレイス・ビヨンド』の題材となった南方寳作さんの息子さんです。芸術祭の運営をサポートをする一般社団法人サポートスズの理事長を務めながら、アートバスの名物ガイドでもあります。サポーター活動にも参加し、芸術祭開催当初から、力になってくれていました。

大規模半壊の判定を受け、解体を決意

1月1日、南方さんは、奥さんと東京から帰省していた娘さんの3人で居間にいました。突然感じた強い揺れ。あまりの激しさに思わず柱にしがみついたそうです。揺れが収まってから慌ててストーブを消し、家からすぐの高台へ避難しました。

建物はかろうじて形を保ったものの、家の中は床が波打つようにボコボコになっていて、もう住むことはできません。大規模半壊の判定を受け、奥さんと相談し解体することに決めました。

散乱した家を前に、どこから手をつければいいのか分からず、片付けをしばらく先送りにしていたという南方さん。ボランティアの方たちや、芸術祭で出会ったアーティストやサポーターの手を借り、ようやく仕分けを終えることができました。

「子供のものは捨て難いですね。昔、子供が描いた絵なんかもでてきて、それは取っておきました。娘が使っていたピアノや雛人形は、人に譲ることができました。誰かが使ってくれるとありがたいです。」

作業中、アルバムや手紙が出てきては、昔の南方さんの思い出を話しました。戦争を経験したお父さんの話。民宿を営んでいた時期があること。思い出をひとつひとつ懐かしそうに語る南方さんの姿が印象的でした。

南方さんが現在生活を送る自主避難所で、こんな話を聞きました。

「ボランティアさんがいると作業がはかどって助かるという気持ちもあるが、粛々と片付けられるほど、気持ちが思いついていかない。」

崩れた家屋は早く片付けた方がいいに違いない。外からみると、今の珠洲の景色はそう映ります。もちろん、安全のために人手を借りて早々に済ませなければいけないことでしょう。それでも当事者たちには、作業として割り切れない気持ちもあります。

報道だけで見聞きする珠洲からは想像ができない一面を知りました。

父の代から受け継いだ家

南方さんの家は、南方さんのお父様である南方寳作さんの代に建てられました。

「うちの親父は、三男坊でした。本家を継ぐことができなかったから、戦争から帰ってきてまず家を建てました。壊れた家の柱やお寺の一部をもらって、自力で家を建てたそうです。」

南方さんは、昭和26年に長男としてこの家に生まれました。当時、父・寳作さんは冬になると地方に酒造りなど出稼ぎに出ていることが多く、お母さんも朝から働きに出ているため家にほとんどいなかったそうです。

高校を卒業して、東京の大学へ進学した南方さん。学生生活を送りながら、大好きなジャズやロックなどの音楽漬けの日々を送っていました。

「ある時、親父とお袋が東京に突然やって来ました。私は珠洲に帰ってこい、というメッセージだと受け取ったんです。長男という自覚もあり、現在の妻となる女性と一緒に珠洲に帰りました。民宿をはじめていた実家は、2階に部屋が新設されていました。」

珠洲に帰ってから夫婦で懸命に働き、3人の子供たちを東京の大学へ送り出しました。

地震を経て生まれた、次の夢

南方さんは、音楽文化協会や奥能登国際芸術祭にも積極的に関わり、珠洲の文化的な発展にも貢献してきました。

「15年くらい前に珠洲で使われずに放置されていた大きなスピーカーを譲り受けました。アンプも買い揃えて、念願のジャズ部屋を作ったんです。」

震災の後もスピーカーは壊れず、無事に取り出すことができました。そのスピーカーを使って、とある夢を叶えるそうです。

「みんなが音楽を聞きながら集えるような場所をつくりたいと思っています。人が来てくれるのか不安はありますが、避難所暮らしをする中で、みんなが背中を押してくれました。うちの避難所のみんなはとにかく前向きで明るいんです。みんなで一緒に音楽聴いて、コーヒー飲んで、酒を飲んでくれるスペースになればいいな、と思っています。」

南方さんは、解体したあとも同じ場所に家を建てて暮らすことを決めました。前向きに珠洲でのこれからを話す南方さんの姿からは、こちらが力をもらえるようでした。

記録日:2024年6月22日・7月13日
記録者:テキスト・戸村華恵(ヤッサープロジェクトスタッフ)
    写真・西海一紗(ヤッサープロジェクトスタッフ)
記録場所:石川県珠洲市馬緤町
参加者:南方治

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