珠洲市で唯一の商業エリア、飯田町にある「飯田町商店街」は、今回の震災で甚大な被害を受けました。多くの店が倒壊し、商店街の景観は一変。元々、後継者不足の問題を抱えていたところに、今回の地震が追い討ちをかける形となり、再建を決意した店はごくわずかです。
現在の店主である坪野節子さんは、奥能登国際芸術祭で、鴻池朋子さんや弓指寛治さんによる『物語るテーブルランナー』に語り手・縫い手として参加してくれていました。のらもじ発見プロジェクトによる『いいよ、いいまち、いいだまち。』では、可愛らしい店のフォントが、作品の一つとして取り上げられました。
昭和20年代にミシンの販売からスタートした「ホビーつぼの」は、ほかでは手に入りにくい高品質の布や毛糸を取り扱い、時にはミシンの修理を請け負い、お客さんの制作の相談相手にもなります。手芸のことなら「ホビーつぼの」と、珠洲で長く頼られてきた坪野さん。今回はそんな坪野さんに、店を再開させるまでの経緯を伺いました。
避難生活によって途絶えた手芸
震災の日、坪野さんは、旦那さんと店の裏にある自宅で過ごしていました。県内で離れて暮らす娘さんも孫たちを連れて帰ってきていて、みんなで穏やかなお正月を過ごしているところでした。坪野さんのご自宅は飯田港がすぐ目の前にあります。大きな揺れのあと、津波の恐怖が坪野さんたちを襲いました。
「津波警報が鳴って、夫は近所で暮らす私の母の元へ向かいました。夫に、子供たちと逃げろと言われて、とにかく人の流れに沿って走りました。」
坪野さんの家はなんとか倒壊は免れたものの、屋根瓦が傷み、店と自宅のつなぎ目の部屋がちぎれるように引き離されてしまいました。家の中にあった井戸も突き上がって、床はうねっている。「大変なことが起きてしまった」と思ったそうです。
2週間ほど避難所になった飯田小学校で暮らしていましたが、高齢の母にとって避難所での寝泊まりは辛く、二次避難することに決めました。
「行き先が加賀だったことは集合場所で知りました。あまり荷物は持っていけませんでしたが、裁縫セットと作りかけのテーブルランナーを持っていきました。でもしばらくは全然開くことはありませんでした。」
手芸が結ぶ、鴻池さんとの絆
3年に一度開催される奥能登国際芸術祭で、坪野さんは制作協力として深く関わってくれていました。2017年は、作家・鴻池朋子さんによる「物語るテーブルランナー」の作品への協力が持ちかけられました。
珠洲で暮らす人たちの語りを鴻池さんが絵にして、それを語った本人がテーブルランナーに刺繍をするという作品。坪野さんは珠洲で手芸が好きな女性たちに声をかけ、自身も語り手、縫い手として参加しました。
「震災の前もテーブルランナーの新作をつくるために力を貸して欲しいと相談を受けていて、刺繍を進めているところでした。でも震災が起きて、制作はすっかり止まってしまいました。」
しばらくして、鴻池さんが避難先の加賀市へ会いに来てくれることになりました。地震が起きてから、裁縫箱を開けることがなかった坪野さん。鴻池さんの来訪をきっかけに、作りかけだったテーブルランナーのことを思い出しました。
「震災が起きてから、何も手につかないでいました。考えることがいっぱいで、手芸どころではなかったから。でも、せっかく鴻池さんが会いに来てくれるので、作品を完成させてお渡ししたいなと思って、ブランケットステッチを久しぶりに始めたんです。縫っていると気持ちが落ち着いて、手芸をしている間は不安や焦りを忘れることができました。心が折れたときは、縫い物をすればいいんだとわかったんです。」
再び手芸に没頭し、鴻池さんに完成した作品を渡すことができました。その作品は現在、青森県で開催されている『鴻池朋子展 メディシン・インフラ』で展示されています。
2023年の芸術祭では、作家・弓指寛治さんがテーブルランナーの企画を受け継ぎ、一緒に作品を制作しました。弓指さんも6月に珠洲を訪れ、坪野さんとの再会を果たすことができたそうです。芸術祭をきっかけに出会った縁が、震災後の今も続いています。
避難先で思い出す手芸の力
加賀市の避難先では、時々ワークショップが開かれていました。ある時、講師としてパッチワーク教室をやってみないかと誘いを受けました。それから週に1度のペースで教室を開き、加賀の地元の人や、被災者たちと手芸を楽しむ時間をつくることができたそうです。
「加賀のみなさんが手芸で使う布やはぎれを集めてくださいました。私が加賀にいることを知った金沢にある中川ミシンさんは、ミシンを寄付してくださいました。どうしてこんなに親切にしてくださるんだろうと思うくらい、被災した私たちにすごく親切でした。支援してくださる方には、あまり特別なことをしているっていう気持ちはないようで、普通のことをしてるだけって仰るんです。」
加賀の支援者たちの心遣いに背中を押され、珠洲に戻ったら手芸で心を癒される人のための場所を作ろうと決めました。
「壊れてしまった什器や本棚を処分して空いたスペースに、みんなが自由に作業できるような場所を作りました。もしかしたら、私みたいに物を縫うことによって心が癒されたり、気持ちが安定したりする人がいるかもしれないと思ったんです。そんな人たちのための場所になるといいなと思っています。」
店は再開したものの、果たしてお客さんはくるのか、店は続いていくのか。不安なことはまだまだたくさんあります。
それでも縫っている間は、布と針に向き合い、無心になることができる。被災者たちにはそんな時間が大切なのだと、坪野さんは語ります。穏やかな時間の積み重ねが心の日常を取り戻すために必要なのかもしれません。
先日、坪野さんは、鴻池朋子さんと建築家・坂茂さんによる「カーテンプロジェクト」に縫い手として参加し、仮設住宅90戸に設置するカーテンの一部に刺繍を施しました。手芸によって自身が癒されると同時に、ほかの被災者たちにも力を届けています。
「ホビーつぼの」に新しく設けたスペースには、手芸の相談に訪れる人、ミシンを借りる人、お茶を飲みに来る人など、だんだんと人が集まる場所になりつつあります。
日常の中で育まれた小さな癒しは、前に進むための大きな力となっているのです。
記録日:2024年7月14日
記録者:テキスト・戸村華恵(ヤッサープロジェクトスタッフ)
写真・西海一紗(ヤッサープロジェクトスタッフ)
記録場所:石川県珠洲市飯田町
参加者:坪野節子